オーガニック栽培までの道のり
30歳で会社員を辞め、家業の茶農家に就農したのは2006年。
当園は茶市場(いちば)を通じて荒茶を茶問屋さんへ販売する典型的な茶農家でした。
私が就農した頃、茶業界は抹茶スイーツやペットボトル用のお茶需要が急増し賑わいの真っ只中でした。若かった私は父の代よりもさらに家業を大きくしようと意気揚々で就農したのです。
しかし、現実は甘くなかったことに就農直後早々に気づかされます。早朝から夜遅くまで続く慣れない農作業。規模拡大どころか仕事を覚えるだけで精一杯の日々が続きました。また当然のことながら、自然相手の農業は計画通りいかないことの方が多く、今までの社会人としての経験は全くといっていいほど役に立たちませんでした。
それでも少しづつ仕事に慣れてくると、農作業のの省力化や機械化により栽培面積をどんどん増やしていきました。
一方で茶農家を取り巻く状況は決して明るいものではありませんでした。ペットボトルや抹茶スイーツ用用などの安価な茶の需要は伸びていたものの、急須で飲むリーフのお茶やクオリティーの高いお茶の需要は衰退の一途をたどっていました。
当然茶の取引価格が下がり続けるなかでは、栽培面積を増やして収穫量を上げていかなければ立ち行かない状況でした。
そして栽培面積の拡大はすなわち農薬・化学肥料の使用量増加におのずとつながります。
そんな八方ふさがりのなか茶工場で事故が起こってしまいました。
新茶の製茶中のことでした。機械の一部であり得ない場所から火がでてしまったたのです。
幸い火はすぐに消し止めることができたものの、消火器を使ったために工場の安全検査が終わるまで稼働停止になってしまいます。
新茶の時期は茶農家なら最も稼がなければいけない時です。新芽の様子をみながら収穫のタイミングを半日単位で調整し製茶しなくてはなりません。絶望で頭の中は真っ白になりました。肥料代、人件費、機械代の借入などお金のことも頭の中を埋め尽くします。
栽培面積の拡大をし続けた結果、少しでも歯車が狂うと全て止まってしまう現実を突きつけられ、このままでは規模拡大どころか事業存続すら危うい状況でした。
このような最悪の状況のなか、この悪循環から何が何でも脱却しなくてはいけない、何とかこの状況を変えたいという思いは、やがて、お客様への直接販売へと舵を切るための強い気持ちへとつながりました。
長い間着ていなかったスーツを引っ張り出し、新しいチャンスを求めて奔走する日々が始まりました。といっても本当にこれでいいのか答えはわかりませんでした。だだ今までとは違う道を模索しないといけないことだけは確かでした。
そんななか、世界的に有名なホテルの料理長にお茶を提案させて頂く機会がやってきました。しかし、自分の渾身のお茶を飲んでいただいて返ってきた言葉は、
「添加物のような味がする。」という予想だにしなかったものでした。
もちろん添加物など入れているはずもありません。当園の栽培方法を説明したものの、添加物の味がするものは使えないという評価は消えることがありません。
最初はお茶の旨みを正しく理解いただけていないのだと強がっていました。しかしあらためて様々な産地、栽培方法のお茶を飲み比べてみると、「もしかすると…。」との思いが浮かんだのです。
お茶の市場価値はお茶の“旨み”によって左右されます。
当園も旨みのもとになるアミノ酸を増すために長年にわたり化学肥料使っていました。そしてそれが土壌に蓄積し、茶葉の味が本来の味とは程遠い人工的な味になってしまっていたのではないかと気付かされたのです。
化学肥料によって土や茶の木を酷使してきていたことにショックをうけました。
もちろん自然環境への負荷を考えれば、オーガニック栽培が良いというのは頭ではわかっていました。ただ生業としての茶業を考えた時、収穫量が大きく減ってしまったり、病気の発生リスクが上がるオーガニック栽培に移行するのは簡単な決断ではなかったのです。
しかし、その時の私にはもう迷う余地はありませんでした。
「全てオーガニックにしよう。」
2016年からオーガニック栽培へ移行。
5年後の2021年には全ての圃場で有機JAS認証を取得しました。
100%無農薬の有機栽培です。
振り返ると移行期間中は害虫や病気が発生しても、ただただ傷んでいく茶園を見続けることは非常に苦しいものでした。収穫量も激減し、自分の判断が間違っていたのではと後悔することもありました。
そんなある日、茶園に小さなお子さま連れのご家族が来られました。お子さまが息を弾ませながら、
「バッタ5匹も見つけた。」
「わたしはてんとう虫5こ。」
と笑顔いっぱいで教えてくれたのです。
何気ない会話です。しかし、この子供たちの言葉に、これまで味わったことのない幸せな気持ちが溢れてきたのでした。
子どもたちが安心して虫探しのできるようになった茶畑。選んだ道は間違っていないと徐々に確信できるようになったのです。
誰もが安心して口にしていだけるお茶づくりは、まだ始まったばかりです。
私のなかで小さく凝り固まっていたお茶の世界は今、想像していなかった広くて伸びやかな世界へとつながりはじめました。そんな世界をより良い未来へと続けられるように・・・。そんな願いを込めて、これからも茶畑を丁寧に育てていきたいと願っています。